( ^ω^)プレイバック、ワンス・モア。 のようです
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 20:59:15.78 ID:s5Mhqd7A0
――ああ。

   そうだ。

   幸せは、あったのだ。
   僕は、やはり、幸せだったのだ。

   最も親しい人たちの裏切りで、もう誰も信じることができない、僕。
   確かなものなど何もなくて、何が本当のことかも分からない、苦痛。
   ただ重苦しい絶望と、決して癒せない乾きに似た、孤独。

   それでも、なお。
   そんな息苦しい僕の世界で、それだけは確かな真実だ。

   僕は生きた。
   僕は愛した。
   僕は、確かに、幸せだった。

   それだけだ。

   もしも、もう一度だけ、やり直せたなら。

   今は、そうは思わない。

   決して、思わない――




2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:01:15.95 ID:s5Mhqd7A0
涙を流しながら。
ただ、夜空を見ていた。

夏の夜の外気は涼しく、激しい運動の汗に微風が心地良い。
眼下に広がる海は、月のない今は静かに闇を湛える。
そして、崖の突端から見上げる夜空には、満天の星。

けれど……暗い。

夜空の暗黒は、寂寞だ。
例え星がいくら輝いても、夜空は昼空のように明るくはならない。

星空が寂しい、と言ったら、ツンは、何と答えるだろう。
向こうで彼女と会ったら、それを聞いてみようと思った。

( ^ω^)「……」

涙を拭う。
これからみんなに会うのに、泣き顔じゃみっともない。

( ^ω^)「ツン、ドクオ、クー。遅れちゃって、ごめんだお。
      もうちょっとで行くから、待ってるんだお?」

僕は立ち上がり、衣服の草を払った。
そして、大きく一歩、踏み出した。




4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:03:32.22 ID:s5Mhqd7A0
呼吸を整えながら少し歩くと、草地に出る。
切り立った崖の突端に立ち、空を見上げて感嘆の息を吐いた。

( ^ω^)「おー……。
      やっぱり、綺麗だお……」

落ちてくるような夜空。
上向きに吸い込まれてしまいそうな空間は、そんな詩的な、だが手垢の付いた修辞に
相応しい、ひそやかで、そして神秘的な静寂に満ちている。

すぐ目の前には、もう地面はない。
踏み出せば、遙か下の海面まで真っ逆さまだ。

( ^ω^)「ドクオ、クー……ツン」

柔らかい草地に腰を下ろす。
友人たちと、そして妻に、別れを告げる。

( ;ω;)「……ツン……愛してるお。愛してたんだおっ……!」

壊れてしまった関係は、もう戻らない。
でも、もういいんだ。全てはもう、終わってしまった話だからだ。

恨んでもいない。怒ってもいない。
あとは、ただ……寂しい。

( ;ω;)「……ブーン、ひとりぼっちは嫌なんだお。
      このままじゃ駄目なんだお。大学に入る前以来、また独りになっちゃうお。
      こんなの、嫌だお。早くみんなに会いたいお、話したいお……」




5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:05:19.63 ID:s5Mhqd7A0
僕と、ドクオと、ツンと、クー。
僕らはみな、大学時代からの友人だ。

――大学を卒業してすぐ、僕はツンと結婚した。

   ξ*゚听)ξ「あ……アタシを家庭に入れようっていうなら、せいぜい稼いで贅沢させてよね。
          大事にしてくれないと、タダじゃおかないからねっ!」

   僕のプロポーズの言葉に、ツンはそんな乱暴な言葉を、その内容には不釣り合いなほど
   頬を染めて返した。

   ( ^ω^)「もちろんだお。たくさんたくさん、幸せにしてあげるお。
         ブーン、ツンがいれば何でもできそうな気がするんだお!」

   そんな僕たちを、友人達は祝福してくれた。

   ('A`) 「結婚……マンドクセ。ま、達者でな」

   川 ゚ -゚)「ブーケは私の方に投げてくれよ。どこかの不精者の踏ん切りが付くようにな」

   (-_-)「……おめでとう」

   ドクオとクーは、大学時代から恋人同士だった。
   数少ない僕の友人達の中でも、一番大事な、友人だった。

   あの頃の僕は、幸せだった。……僕は、あの頃に戻りたいのだろうか?
   それでも、やはり、戻りたいのだろうか――

僕は黙って、きびすを返す。
宿泊先のホテルは、ここからそう距離はない。




6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:08:51.41 ID:s5Mhqd7A0
――みんなをここに誘ったのは、僕だ。

   ( ^ω^)「大学時代に、一回だけ行ったホテルがあるお?
         今度の連休、みんなでまた泊まりに行かないかお?」

   今年の7月。僕はそう言って、妻のツン、そしてドクオとクーに連絡を取った。

   崖に面した海辺のホテルは古風で、すこし古びてはいるけれどいい所だった。
   そこにまた、みんなで、四人で行きたい。僕は、そう言ってみんなを説得した。

   ξ;゚听)ξ「……」

   ツンは僕の顔を見てどこか焦った表情になったけれど、最後は頷いてくれた。
   ドクオも、クーも、同じだった。

   前に訪れたとき。あの頃は、幸せだった。
   僕とツン、ドクオとクーはそれぞれ一室ずつを借りて泊まり、それぞれの夜を過ごした。
   思えば、ツンとの結婚を決意したのも、このホテルに来たのがきっかけだった。

   けれど、前に来たときとは何もかも違う。

   僕たちは大人になった。
   お互いの間にあった友情と、信頼と、愛情は、ばらばらに壊れてしまった。
   その欠片すら、どこをどんなに探しても見付かりはしなかった――

そして、僕は今ここに、こうして一人で辿り着いた。
僕一人だけ、ずいぶん遅くなってしまった。

向こうに着いたら、まずはみんなに一言謝ろう。そして、言おう。
どんな形でもいい、もう一度、みんなでやり直そう。今度はきっと、仲良くできるはずだ……って。




7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:13:11.86 ID:s5Mhqd7A0
……崖の下の方で、海面で、小さな水音がする。
それを聞き届けて、僕は囁くように独りごちた。

( ^ω^)「……ブーンは、本当に幸せだったお。嘘なんかじゃないお?
      みんなに裏切られて、だまされて、それでも幸せだったんだお」

僕は、幸せだった。
けれどそれは、いつの間にか嘘で塗り固めた幸せに変わっていた。
僕一人、それに気付かなかった。

――ツンは、僕を裏切った。
僕という夫がありながら、共通の友人と、ドクオと寝た。
愛してる、あなただけよ、と囁いたその口で、僕の友人に同じように愛を囁いた。

――ドクオは、僕を裏切った。
妻のツンと、僕の目を盗み何度も逢い引きを重ねた。
犬のように腰を振って、僕の妻と何度も何度も交わった。

――クーは、僕を裏切った。
ドクオの恋人でありながら、ツンと寝るドクオを止めなかった。
そしてそれを僕に隠して、妻の不倫に悩む僕の相談を親身に受けるフリをしていた。

( ^ω^)「……でも、もう……」

でも、もう、いいんだ。
そんな思いをするのは、今日で、これで最後だ。

ホテルを見ると、いくつかの窓にまだ灯りが灯っているのが見える。
急がないといけないな、と思った。




8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:17:48.80 ID:s5Mhqd7A0
驚いたような表情の、ドクオの顔。
それが、目の前にちらつき、小さくなって消える。

――ドクオとツンの不倫関係が明らかになったのは、去年の暮れだった。

   始めは、どうと言うことはなかった。
   服の趣味が少し変わり、外出する回数が増えただけだ。
   新しい交友関係ができたのかと思い、僕はそれを喜びすらした。

   だが、違った。
   ツンは日増しによそよそしく、僕に無関心になり、外出の頻度は上がる一方だった。
   何より……僕とベッドを共にする回数が、がくんと減った。

   ( ^ω^)「ツン。僕に……何か、隠してることはないかお?」

   ξ゚听)ξ「何よ、いきなり。別にないわよ。
         もしかしてアンタ……アタシが浮気してるとでも思ってるの?
         ……あはははっ。バカじゃないの?」

   ツンはそう言って笑った。
   今思えば、よくもいけしゃあしゃあと言えたものだと思う。自分の口から、浮気だなどと。

   数ヶ月後、雇った興信所の人間から受け取った写真に写っていたのは。
   僕の妻と腕を組んで繁華街を歩く、十年来の親友の……ドクオの姿だった――

僕は、はっきりと意識していた。
身体の中で育った悪性の腫瘍が腹を食い破って体外に溢れ出すような、その感覚を。
そしてそれが、それでもなお僕自身の中に残り続ける、清浄な感情と戦い続けているのを。

そして、最後に残った感情。それは……




10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:22:53.64 ID:s5Mhqd7A0
その回想を破り、徐々に声が近づいてくる。


(;'A`) 「ぅ……うあああああああああッ! ク――――ッ!!
     うああッ、ちくしょう、ブ――ンッ!!」


上擦り、切羽詰まったそれは、ドクオの声だ。
すぐ目の前で足を止め、その場に崩れ落ち兼ねない様子で膝に手を突く。
むき出しの二の腕は水に浸したような汗にまみれ、目には涙を溜めて。

運動不足が祟って、まるで今にも死んでしまいそうだ。もちろん、そんなことで
死なれても困るのだが……一体、今さら何をそんなに焦る必要があるのだろう。

( ^ω^)「どうしたんだお? 僕なら、ここにいるお」

屈み込む背中に声を掛ける。ドクオは、ぜいぜいと喉を鳴らしながら顔を起こす。

(;'A`) 「っ、ブーン……お前……ブーン……っ!」

( ^ω^)「そんなに息を切らしてちゃ、何言ってるのか分からないお。
      ドクオ。ちょっとは落ち着くんだお」

( ;A;) 「クーが、クー……クーが……畜生! 何でこんなっ! っ、ちくしょう……!」

僕はドクオに歩み寄り、その肩に手を掛ける。

( ^ω^)「分かったお、話は後で聞くお。二人で、一緒にクーの所に行くお? ブーンも、一緒だお」

言って、手に力を篭めた。




11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:28:50.94 ID:s5Mhqd7A0
('A`) 「……クー」

何度も首を振りながら、僕を見るドクオ。
その目に涙が一杯に溜まっていく。

( ;A;) 「クーが……」

( ^ω^)「……ドクオ。
      クーが……何だお?」

僕の問いには答えずに。

( ;A;) 「う、うわあああああああああああああっ!!」

ドクオは叫び、走り出した。

( ;A;) 「クー、クー……ク――――ッ!
     うわあああああああぁ――っ!!」

(; ^ω^)「ドクオ! 待つお、どこ行くんだおっ?」

ドクオは、不意に叫びながら走り出した。
両腕を滅茶苦茶に振り回し、長い尾を引く叫びを上げながら。

僕は、高校時代まで陸上部に所属していた。
大学でも、卒業してからも趣味のランニングは続けていた。
万年運動不足のドクオに追い付くのは、今でもさほど難しいことではない。

久々のスプリント。
ドクオを追いながら、僕はふと高校時代の部活動を思い出していた。




12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:35:10.72 ID:s5Mhqd7A0
……その部屋のカーペットは、真っ赤に染まっていた。
それは模様ではなく、クーの……彼女自身の胸から噴き出した、多量の血液によるものだ。

薄い夜着の胸に突き立てられた、金属の刃。
そこから流れ出す血が彼女の夜着を、そして絨毯をより一層紅く染めていく。

僕は何も言えずに、それを見ている。

(  ω )「……クー……。
      なんでだお……」

なぜ。なぜ、今になって、こんな事に。
やけに冷静な頭の中で、その疑問だけが空転している。

('A`) 「……クー……クーっ?」

呼び声に振り返る。
部屋の入り口に立ったドクオが、声を上げたのだった。

('A`) 「クー、大丈夫か……ッ!?」

その声は、恐らく……今のクーには、届かない。
いや。もう、永久に届くことはないだろう。
二度と。

無気力な細い目が、僕とクーを交互に見る。
その表情が、歪んだ。

( ^ω^)「ドクオ。クーは……彼女は……」




13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:41:33.06 ID:s5Mhqd7A0
床に倒れ付す、クー。
それを見下ろしている、僕。

川 - )「……ン」

( ^ω^)「……クー?」

口が、微かに動いた。僕は彼女の口に耳を寄せる。
色を失った唇から、かろうじて言葉が漏れるのが聞こえた。

川 - )「……まない。すまない、すまない……。
     ドクオのこと、ずっと、謝りたくて、謝れなくて……すまない、ブーン……」

( ^ω^)「クー……!」

なんで今さら、こんな時になって、そんなことを言うんだ。
いま謝って、何になるって言うんだ。

手遅れじゃないか。
もうとっくに手遅れなのに、そんなこと。

僕は屈み込み、クーの上半身を抱え上げる。
両手が血まみれになるが、もう気にしない。

( ;ω;)「クー、だめだおっ。なんで、なんで今さらそんなこと言うんだお。
      今さら……ブーンは今さら、どうすればいいんだおっ!」

僕の叫び声が部屋に響く。
後には、ぴしゃ、ぴしゃ……と、絨毯に血が滴り落ちる音が、残る。




14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:49:22.46 ID:s5Mhqd7A0
彼女の身体は大きく一度、びくんっ、と震え、そして静かに床に落ちた。
真っ赤な血液が、点々と絨毯に飛ぶ。
片手で押さえる衣服の胸が、見る間に紅に染まっていく。

川  - )「ぐ……け、ほっ」

床に手を突き、身体を支えようとする。
けれど、その一動作だけでもう、残された体力を使い果たしたのだろう。
腕は、空気の抜けた風船のようにへなへなと折れ曲がり脱力する。

その腕は、最早支えの用を成すことすらできない。
クーは入り口に頭を向け、カーペットに再び横たわった。

川 - )「が……っ。
     ブ……ン……ッ」

それでも、口を開き、何かを僕に告げようとする。
……まだ、息がある。

( ^ω^)「……クー? どうしたんだお。
      まだ何か、言いたいことがあるのかおっ!」

クーが呼吸をする度に、血液の混じったピンク色の泡が口の端から零れ落ちる。
ぜいぜいと、空気の漏れるような音が呼気に混じる。

肺が傷つくと、呼吸に鮮やかな赤い血泡が混じる。
そうなると、もう致命傷だ。助かる見込みはない。そう聞いたことがあった。

( ^ω^)「クーッ!」




15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 21:55:51.77 ID:s5Mhqd7A0
クーは僕の手を見て、そして頬を引きつらせ、震える声で言った。

川 - )「……ブー、ン。……私は……君を、君たちを裏切った。
     それを……否定するつもりは、ない。だが――」

僕は答えない。

( ^ω^)「……」

クーは、僕とツンを裏切ったドクオを止めなかった。
そればかりか、そのことをずっと、僕に隠し続けていた。

その綺麗な顔の裏で、僕を蔑んでいたんだろう?
なんて間抜けな奴だと嘲笑っていたんだろう?

……僕がもう、ツンとドクオのことについて彼女と話す機会はないだろう。
こうなってしまってはもう、ずっと、永遠に。

( ^ω^)「もういいお。
      その話は、もう……しなくていいんだお。
      ツンにだって、話すことはもう、ないんだお……」

生きているクーと交わした会話らしき会話は、それで終わりだった。
僕は右手に持っていたそれを、彼女の目の前に掲げた。

そして彼女に向かって、突き出す。

川 - )「……!」

彼女が小さく息を呑むのが、耳のすぐ脇で聞こえた。




16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:00:33.98 ID:s5Mhqd7A0
――小さな天然石をあしらった、ペアのペンダント。
   それは僕がツンに贈ったものだった。
   幸せだった僕の大学時代、ツンに贈った、初めてのプレゼント。

   女の子と交際するのは生まれて初めてだった。
   だから、どんなものを渡せば良いのか分からなかった。
   迷った末に僕は、クーに相談することにしたのだった。

   川 ゚ -゚) 「何でも良いんだ、ブーン。
         君がこれと決めたものなら、何でも良いんだ。
         一番のプレゼントは、君がツンに贈り物をしようとした、その気持ちだからな」

   そう言いながらもクーは、快く僕に付き合ってくれた。
   二人で街を歩き、相談しながら、ようやくこのペンダントに決めたのだ。
   買い物が終わった時には、すっかり日が暮れていた。

   ( ^ω^)「ごめんだお、クー。ドクオにも悪いことしちゃったお」

   川 ゚ -゚) 「ああ、気にするな。他ならぬ君の頼みだ、協力は惜しまないさ」

   クーはそう言って、微笑んだ――

幸せだった、あの頃。
それを思い出すと、今でも涙が出てくる。

僕は部屋のポーチに立ち、揺れる灯りの中に浮かび上がったクーの顔を見る。
真っ白に青ざめ、強張って、それでもなお美しい彼女の顔が無性に恨めしくて、
僕はまた涙を堪える。

ポケットから右手を出し、そっと見下ろした。




17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:06:40.60 ID:s5Mhqd7A0
辿り着いた部屋の出入り口のドアノブ。
それに、そっと触れる。

ほんの一瞬、ためらう。
自分の手が、微かに震えているのが分かる。

( ^ω^)「……」

僕はどうすればいいのだろう。

どうすれば良かったのだろう。
なぜ、こんな事になってしまったのだろう。
僕は、もっと違うことをしたかったはずなのに。

それなのに、なぜこんな事に。

……いや。

息を吐く。

( ^ω^)「……だめだお。
      今は、そんなことを考えちゃだめだお」

自分に、言い聞かせる。
叫び出したくなる気持ちを抑え、呼吸を整える。

僕は開いたドアの向こうに、薄暗い空間に。
僕は、踏み出した。




18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:12:59.74 ID:s5Mhqd7A0
夜のホテルの廊下は、静かだ。
あんなことがあったというのに、誰も顔を出す様子はない。

僕は、足音を殺して廊下を小走りに進む。
向かう先は、302号室だ。

( ^ω^)「……急ぐんだお」

急がなければいけない。

( ^ω^)「急ぐんだお。
      早くしないと、間に合わないんだお……」

呟いている自分に気付く。

早く、早く。
一刻も早く、彼女の所に行かなければ。

( ^ω^)「早く……早く……」

言葉にすることのできないせき立てられて、何かに背中を押されて。
僕はただ、薄暗い廊下を行く。

古めかしいランプシェードが幾つも並ぶ廊下。
その赤みがかった灯りが僕の右手を照らし、光の鈍い反射と共に影を落とす。
黄ばんだ壁紙に、絡み合い伸びるツタを模した幾何学的な模様が続いていた。




19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:21:37.68 ID:s5Mhqd7A0
――初めての贈り物をするとき、僕の心臓は破裂寸前だった。
   もしも怒られたら、鼻で笑われたら、目の前で打ち捨てられたら。
   それを考えるだけで額を汗が伝った。

   ξ )ξ「……」

   (; ^ω^)「ツ……ツン? どうしたんだお?
         怒ったのかお? 安物だから、がっかりしたのかお?」

   行きつけの喫茶店の、外の路地で。
   ペンダントの包みを開けたままの姿勢で、ツンはしばらく動かなかった。
   黙って俯いて、ペンダントが収められた陶器の小箱を見つめていた。

   ξ )ξ「……ブーン」

   (; ^ω^)「な……なんだお?」

   けれど、ツンは――僕の胸に、飛び込むようにしがみついた。
   慌てて抱き留めた肩は、震えていた。

   (; ^ω^)「……」

   ξ ;凵G)ξ「……ありがとう、ブーン。ありがとう、っ。
          アタシ、嬉しいの……っ」

   彼女は、泣いていた――

僕はツンを愛している。
けれど、ツンが今も僕を愛してくれているのかどうかは……もう、分からない。
僕が今できるのは、ただ、歩みを進めることだけだ。




20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:28:16.98 ID:s5Mhqd7A0
それでも、踏み出す足は暫し逡巡する。

( ^ω^)「……ツン。
       あれは、本当だったのかお?」

彼女の言葉を、あのか細い呟きを反芻し、噛み締める。

――愛してるの
   あなただけなの、本当よ――

古びた照明の作る影が、目を落とした足下で頼りなげに揺れる。
僕は、行くべきなのだろうか。
彼女の部屋に、行くべきなのだろうか。

行け。行くんだ。もう迷うな、もうこれ以上、後悔してはいけない。
だめだ。止まれ。もう止めろ、もうこんな思いはしなくていいんだ。
相反する思いが、頭の中に同時に響く。

( ^ω^)「僕は……」

……だめだ。止まっては、いけない。

( ^ω^)「……だめだお」

結論する。

ここで止まることは、できない。
行かなければ。




21 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:35:11.14 ID:s5Mhqd7A0
古く、厚い木製のドア。
何度も上塗りされたアイボリーの塗装が、弱い光の中に淡い陰影を刻む。

覗き窓のレンズの中は真っ暗だ。
頼りない照明の下では、扉の向こうの様子は些かも窺えない。

( ^ω^)「……ツン……」

ふと彼女の声が聞こえたような気がして、僕は首を巡らせる。

( ^ω^)「……ツン。
       大丈夫だお。もう、ツンを一人になんてしないお。
       すぐそっちに行くから、待ってるんだお」

ほんの短い時間の間に、僕はもう心を決めていた。
そうだ。僕はもう、これ以上ツンを悲しませない。
彼女が僕をどんな目に遭わせてきたとしても、僕はもう、彼女を放っておかない。

だから、早く行こう。
彼女の所に行こう。
ツンの所に……行こう。

ノブを捻る。
蝶番が軋む音が微かに立っただけで、ドアは音もなく開いた。
僕はドアをくぐり、後ろ手にそっと閉める。

( ^ω^)「……」

自分でも、何故かは分からない。
何故かは分からないが、驚くほどに冷静さを取り戻していた。




22 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:41:44.73 ID:s5Mhqd7A0
部屋の灯りは全て落とされ、差し込むのはホテルの庭に設置された照明の光だけ。
暗い部屋の中、次第に慣れ始める僕の目に、寝室のドアが映る。
ドアは……薄く、開かれている。

僕は、一抹の不安を覚える。

これから様子を見に行く、彼女。
彼女が、もしも寝室にいなかったら? それどころか部屋を出て、外を歩いていたら?
それより前にドアを開き、違和感に気付いて、そしてそのまま――

( ^ω^)「だめだお……だめだお。
      そうなったら、取り返しが付かないことになるお。僕は……」

それだけは、何としても避けなければいけない。

( ^ω^)「……ドクオ。そうだお、ドクオもだお」

彼女だけではない。ドクオも同じだ。

( ^ω^)「……ツン……待ってるんだお」

もう、僕には迷っている時間はない。
ここで止まるわけには、いかない。
躊躇している余裕は、もうないのだ。

( ^ω^)「そうだお。ブーンは、急がないといけないんだお。急がないと……」

そうだ。急がなければ。
僕は部屋に踏み込み、足下を確かめながら歩く。




23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:48:52.76 ID:s5Mhqd7A0
( ^ω^)「……?」

不意に。
目を向けた部屋の中央のテーブルで、きらり、と何かが輝くのに気付いた。

果物の入ったボウルの脇で、外からの光を反射したもの。
それは僕が初めてツンに贈った天然石のペンダントの、金属の台座だった。

淡いピンクの天然石を金属の台座に収めたペンダントは、ツンのものだ。
僕の首に下がるペアのそれには、薄いブルーの石が嵌っている。
僕にとってはどんな贈り物よりも、結婚指輪よりも思い出深い宝物だった。

( ^ω^)「……ツン……」

ツンは、まだこれを捨てずに、取って置いてくれたんだ。
こんな時だというのに、僕はそれが少し嬉しく、照れくさくなる。

隣のボウルの中では、熟れたトロピカルフルーツが甘い香りを発している。
その陰に隠れるように、木製の柄の果物ナイフが置かれているのが目に入った。

( ^ω^)「……」

迷った挙げ句、ナイフを取り上げ、握り締める。
掌に滲む汗のせいで、それは温かく、湿っているように感じた。

それを、そっと右腰のポケットに入れた。

緊張している。背中の毛が逆立つほどにぴりぴりと痺れている。
耳の奥で、甲高い風が鳴り続けているように聞こえた。




24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:52:49.95 ID:s5Mhqd7A0
(  ω )「……。
     ……大丈夫だお、ツン。僕が付いてるお。
     ツン、すぐ行くから、そこで待ってるんだお……?」

自分に言い聞かせるように、呟く。
掌の熱とは逆に、頭の芯は、なぜかもうすっかり冷え切ってしまっている。

僕の目の前で、命を失った彼女。
あんな姿を見たばかりだというのに、あんな言葉を聞いたばかりだというのに。
精神からおよそ情動というものが全て抜けきってしまったように、僕は冷静に自分を俯瞰している。

ドアに手を掛ける。蝶番が、きいぃ、と軋む音を立てる。

(  ω )「……はあっ……はあああぁ――っ」

大きく二度、息を吐く。
強張った肩と腕、力が入りすぎた五指の力を抜く。
固く目を瞑り、開く。

そして、僕は、寝室のドアを、開いた。

僅かばかりの明かりが寝室に差し込み、ベッドの足を、その下に揃えられた下履きを、
マットレスから垂れ下がる純白のシーツを……その上で仰向けに横たわる人影の、淡い
色の巻き毛を……徐々に、照らす。

彼女は、そこにいる。
今も、いる。




25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 22:55:26.70 ID:s5Mhqd7A0
それを確かめて、僕は囁くように。
そっと、尋ねる。呼び掛ける。

(  ω )「ツン……ツン?
      聞こえるかお? ブーンの声、聞こえるかお?」

返事は、ない。
ツンの顔は髪に隠れていて、その表情は見えない。

(  ω )「もしかして、怒ってるのかお?
      僕がわがまま言って、ここまで連れて来ちゃったから。
      みんなでこんな所まで来させられたから、怒ってるのかお?」

ξ )ξ「……」

(  ω )「……なんて、そんなこと、ある訳ないお。
      ブーンには分かるんだお。ツンはもう怒ってないお?
      もう、怒ったりしないんだお? そうだお、ツン?」

ξ )ξ「……」

やはり、返事は、ない。

(  ω )「……そうだお……ツン……。
      きっと、きっとそうだお……」

どんなに待っても、返事が返ってくることはなかった。
身じろぎすら、することはなかった。




26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:00:50.46 ID:s5Mhqd7A0
ツンは――そこにいた。

寝室のベッドに、無言で身を横たえていた。
だが、彼女は眠っているのではない。

(  ω )「ツン……っ……」

彼女が静かなのは、眠っているせいではない。

ξ  )ξ「……」

タオルケットは床に落ち、薄い夜着に包まれた全身を外気に晒していた。
肩をはだけさせ、力を失った手足は無秩序にシーツに投げ出されていた。

そして――

薄く開いた目は焦点を失い、ぼんやりと中空を見ていた。
柔らかい巻き毛に埋もれた、細く、白い首は、奇妙に折れ曲がっていた。
その首筋に作られた不自然な凹みが、笑窪に似た影を彼女のうなじに黒く落としていた。



――彼女は、もう、呼吸をしていなかった。







27 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:06:59.46 ID:s5Mhqd7A0
……死んだ。
僕を裏切り、見捨てた女は、死んだ。

それを認識した瞬間に僕の胸を満たしたのは、喜びでも、満足感でも、達成感でもなかった。

( ;ω;)「うう、うっ……お、おおおっ……。
      ツンっ。ツン……!」

粗い砂が胸一杯に溜まっていくような、重く息苦しい、言葉に表しがたい感覚。
それは徐々に下に降り、身震いのするような熱に変わって僕の下腹に居座る。
僕は喘ぎ、床に膝を突いて涙を零す。

――何度も、何度も。
   今までに、数え切れないほど感じてきた感情。
   僕が、毎日、絶え間なく感じてきた感情。

   いつからだろう、この感情を、僕は知っている。
   ツンの浮気が明らかになった日から?
   彼女の口から、初めてドクオの名が出た日から?

   彼女の薬指に指輪を嵌めた日? このホテルで一夜を過ごした日?
   彼女にペアのペンダントをプレゼントしたとき?
   それとも、大学に入学して、初めて彼女の顔を見たとき……?

   そうだ。
   それは、その感情は……その名前は――

どのくらい、そうしていただろう。
僕は顔を上げて、ベッドを見た。




28 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:12:32.60 ID:s5Mhqd7A0
( ;ω;)「ツン――ツンっ!!」

両手でツンの身体を引き起こして、僕は叫ぶ。

( ;ω;)「ツンっ、イヤだお! お別れなんて嫌だおっ、僕を置いて行っちゃ嫌だお!
      僕はっ、独りじゃ生きていけないのに! ツンがいないと、生きていけないのに……っ!」

ツンは、答えない。
その上半身は完全に脱力し、両腕は糸で吊られたように僕の為すがままに揺れる。

眠りかけたような半開きのままの両眼も、呆けたような半開きのままの口も。
僕がどんなに揺さぶっても、もうそれ以上、変わることはなかった。

( ;ω;)「ツン……嫌だお! 僕はもう、独りは嫌なんだおっ! 僕はっ!!」

僕は呼びながら、思い切り、大きくツンの身体を揺らす。
その拍子に、ツンの首が、がくり、と90度以上真横に曲がり、僕の手首に垂れ下がった。

( ;ω;)「うああ、あああっ!」

異様に伸び、限界を超えて曲がった彼女の顔。
その眼が、前髪の隙間から僕を見ていた。
……強く圧迫され、折れた頸椎は、彼女の頭を支えるだけの強度を失っていた。

( ;ω;)「うう、うあああっ――――!
      ツン……ツン……!!」

僕は彼女から両手を離し、顔を覆う。
ツンの身体はベッドの上に落ち、スプリングの反動で無機的にバウンドした。
その手足は、落ちた姿勢のままだらしなく広がり、弛緩していた。




29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:18:30.59 ID:s5Mhqd7A0
流れ始めた涙は、止まらなかった。

( ;ω;)「つ、ツンッ! 愛してる……っ、愛してるんだおおおっ!!」

叫ぶ。叫びながら、僕は力任せに彼女の身体を揺さぶる。
掴んだ両手に全身の力を篭めて、何度も何度も、何度も何度も前後に振り回す。
その時間は、僕には永遠にも等しく感じられた。

ξ  )ξ「……、……っ」

ベッドに両腕をだらしなく広げたままのツン。その胸が、微かに上下したように見えた。
両手と両脚が引きつり、跳ね上がったように感じられた。

生きている。ツンは、まだ、生きている……!
僕は必死で彼女の首を引き寄せ、口元に耳を押し付ける。

ξ  )ξ「……ゆ、許し……て。
       ぶ……ん、おね、が……あ、たし……」

ひゅうひゅう、という笛の音に似たか細い息を吐きながら、ツンは、口を開いた。

ξ  )ξ「たし……ま、ちがって……、た。
       ……愛……してる、あなた……だけよ、だ、か……ら――」

最後の力を振り絞って両手を上げ、力なく僕の両手首に添えた。

( ;ω;)「ツン――っ!」

その両手から、口から、そして全身から力が抜ける。
くっ、と引きつるような声を残して、そのまま彼女は……ゆっくりと、全身の動きを止めた。




30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:24:42.74 ID:s5Mhqd7A0
ツンは……動かない。ただそこに横になっている。
目を閉じて、綺麗にベッドに収まったその姿は、人形のように美しい。

( ;ω;)「……そう……そうだお。
      ……僕、よくツンのこと、お人形さんみたいだ、ってからかったお?
      そのたびにツンは顔を真っ赤にして怒ったけど、でも、冗談なんかじゃなかったお。
      ツンは本当に綺麗で、僕はツンが大好きで……ツンはいつも、僕の誇りだったお。

      仕事が大変で、全然構ってあげる暇もなくて、ごめんだお。でも僕、ツンのために
      頑張ったんだお? 普段ならやらないような仕事も一生懸命もらって、少しでも
      たくさんお給料を貰って、ツンに喜んで欲しかったんだお。

      帰りが遅いじゃない、寂しいじゃない、って、結婚したばっかりの頃は、よくそう
      言って泣いてたお? 本当にごめんだお。でも、あの頃のお給料じゃ、ツンに
      贅沢させてあげられなかったから。お給料が少ないから、なんて、恥ずかしくて
      言えなくて、それで、黙って聞いてることしかできなくて……本当に、ごめんだお……。

      ……わがままで、意地っ張りで、怒りんぼで……いつも僕を振り回して。
      でも本当は人一倍寂しがり屋で、でもそれを相談する相手がいなくて。
      僕なら、そんなツンのそばに一生いてあげられるって、そう思ってたんだお。

      でも……でも、言うべきだったのかお? 僕も辛かったって、言うべきだったのかお?
      ツンも、他にも、いろいろ言いたかったこと、聞きたかったことばっかりで、それで……
      だから……ツンは、僕のことが分からなくて、不安で、寂しくて……それで、それで
      誰か、他の誰かに……ドクオに……ドクオ、と……!」

両手に力を篭める。肌に爪が食い込む感触を感じながら、思い切り握り締めた。

( ;ω;)「……ごめん……ツン……ごめんだお、不甲斐ない僕で、本当にごめんだお……。
      でも……! 離れたくないんだおっ! 置いて行かれるのは、嫌なんだお……っ!」




31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:31:03.29 ID:s5Mhqd7A0
そっと手を伸ばす。
目を閉じ、何も言わずに横たわるツンの頬を、両手で挟み込むように、恐る恐る撫でる。

(  ω )「……ツン。ツン、愛してるお。
      誰がなんて言っても、それだけは変わらないお。信じてくれるかお?」

唇だけを動かして、そう呼びかける。返事は、無論帰ってこない。
頬に掛かる耳元の髪をそっと払い、耳元によける。
今度は、つやのあるその髪を慎重に撫でる。

ξ  )ξ「……」

瞬間、ツンが身じろぎをしたような気がして、僕は驚いて手を引く。
暫く、その姿勢のままで彼女の顔を見る。

ξ  )ξ「……」

数十秒ほど黙って見詰めるが、動く様子はない。
僕の、気のせいだったのだろう。

(  ω )「信じてくれるかお? ツン。
      僕は、今でも君を愛してるんだお。何よりも、誰よりも大事なんだお。
      君のいない人生なんて、考えられないんだお……」

髪を撫で、両耳から細い顎に繋がる顔の曲線をなぞる。
薄い夜着から覗く、その白い、柔らかい首元にまで手を伸ばし、触れる。

彼女の肌は……暖かかった。そして、柔らかかった。
そのぬくもりには、僕をまだ心の底から愛してくれた頃の、名残があった。




34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:37:30.07 ID:s5Mhqd7A0
……寝室には、灯りがない。
だから、ツンの身体の細部までを見ることはできない。
闇の中に、薄ぼんやりとした輪郭が見えているだけだ。

それでも、目が慣れてくるにつれて、彼女の姿は少しずつ鮮明に見えてくる。
夜着の胸元の、白く質素なレースのリボンが、ぼう、と浮かび上がる。

(  ω )「……」

その胸元に何度も手を伸ばし、途中で止め、またそろそろと伸ばす。
僕はそれを何度も繰り返し……諦め、息を付いて、ツンの顔を見る。

ξ  )ξ「……」

物言わぬ彼女は、僕たちが知り合った頃から何も変わらないように見える。
この暗闇の中では、僕たちはいつまでも、出会った頃の二人のままだ。
そんな気がして、僕は少し微笑んだ。

開いて目の前にかざした両手は、暗がりでもそれと分かるほど震えていた。




35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:43:12.69 ID:s5Mhqd7A0
僕は静かに立ち上がり、部屋を出た。

俯いたまま、暗い廊下を歩く。
頭の中は、混乱していた。何かを考えているようで、それでいて思考は決して纏まることはない。
ぐるぐると、同じ事を何度も考えていた。

(  ω )「……ツン……僕は……」

何かを呟いたような気がするが、何と言ったのかは自分自身にも分からない。
もしも誰かが廊下で僕と擦れ違ったなら、僕はまるで幽霊のように見えただろう。
足は、勝手に部屋に向かっていた。

閉じられたドアの脇の、金属のプレートを見る。
「303」と刻印されたそれを、何度も確認する。

ノブを回し、引く。ドアは微かな軋みを立てて、静かに開いた。
ドアには、鍵が掛かっていない。

(  ω )「……」

ノブを引き、側面のドアラッチ――ノブに連動して出入りする、金属の閂――を見る。
ラッチを塞ぐように厚手の透明なビニールテープが貼られ、動かないよう固定されている。

オートロックのドアは鍵を操作する必要がなく、ドアを閉じるだけで施錠される。
そして開くときは、内側からはノブを回すだけでいい。
内側からドアを開く限りは、鍵が掛からないことには気付かない仕組みだ。

(  ω )「……」

テープを剥がし、その場に捨てると、僕はドアを静かに引き開けた。




37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:49:17.47 ID:s5Mhqd7A0



――僕は、弱い人間だ。

   だから。

   許して欲しい。

   最後にもう一度だけ、謝ることを、許して欲しい――







38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/21(金) 23:55:10.88 ID:s5Mhqd7A0
――あの日。全てが終わってしまう、その始まりの日。
   お洒落をして、少し髪を乱して、少し酔って帰ってきたツンに、僕は写真を突き付けた。
   ドクオと二人で繁華街を歩く、ツンの写真だ。

   ( ^ω^)「……ツン。これは、どういう事だお?
         ツンとドクオは、こんな所で何をしてたのかお?」

   彼女の顔は一旦青ざめて――次の瞬間、真っ赤になった。
   僕は、彼女を責めた。不倫をしていたこと。余所の男と寝たこと。よりによって、僕達の共通の友人と。

   彼女は黙ってそれを聞いていたけれど、僕が口を閉じると、言った。
   いやな、ひどく歪んだ笑顔で。

   ξ ー )ξ「バカね。気付かなければ良かったのに。
         彼、アンタよりよっぽどいいわ。気も利くし、マメだし。
         それにね。ふふっ……知ってた? ドクオってね、アンタなんかより、ずっと――」

   ずっと……その次の言葉は、思い出したくない。一文字たりとも。

   ξ ー )ξ「まあ、いいわ。もう潮時よね。アンタも愛想尽きたでしょ?
          アタシもよ。もう限界。バカで貧乏人のお節介焼きはもう沢山。もう飽き飽きなの。
          ――――ね。別れましょ? ブーン」

   僕は、彼女を愛している。それを疑ったことは一度もない。
   それでも……その時には、愛情とは対極に懸け離れた感情が、僕の中に広がっていた。
   それは悪性の腫瘍のように、気付いた時にはもう押し留めることも叶わないほど、僕を蝕んでいた。

   それは、肺が潰れるほどの悲憤だった。
   それは、腸が裂けるほどの憤怒だった。
   そして、それは――




39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:00:54.25 ID:vPkwH7b90

――でも。

   それでも。

   それなのに――





40 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:07:17.71 ID:vPkwH7b90
――僕は、いつだってツンを愛してきた。
   どんな目に遭わされても、その愛に変わりはなかった。
   それは、僕にとって当たり前のことだった。

   彼女が望むことなら、何でもした。彼女が行きたい場所があれば、どこへでも連れて行った。
   欲しいものがあれば、お金の許す限り、何でも買ってあげた。

   ( ^ω^)「ごめんだお。ブーン、気も利かないし、鈍くさいし。
         でも、言いたいことがあれば何でも言って欲しいお。
         ブーン、ツンのためだったら何だってするお!」

   ξ゚听)ξ「そう……そう。ふふっ、ブーン……ありがと」

   ツンは控えめにそう言って、少し笑った。
   今でも信じている。ツンは、妻は……少なくともあの時は、確かに僕を愛していたのだと。
   きっと僕のせいで、どこかで道を踏み外してしまった、ただそれだけなのだと。

   だから、僕は信じた。信じて、待ち続けた。
   時間さえ経てば……時間が、いつか解決してくれる問題だと。

   ( ^ω^)「ツン……愛してるお。本当なんだお。ブーンには、ツンしかいないんだお」

   ξ゚听)ξ「……」

   僕だけを愛していてくれた頃のツンに、彼女にそう言うと、いつも黙って僕の顔を見た。
   少し驚いたような、こそばゆいようなその表情を、僕は何より好きだった。

   そう思う度に、確信した。
   それでも僕は、彼女を本当に、心の底から愛している。
   だから、どんなことだって耐えられる。そう、確信した――




43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:14:47.50 ID:vPkwH7b90
ソファに座ったまま、僕は窓の外に視線を移した。

綺麗な、星月夜だった。
都会の灰色にくすんだ、高層ビルに切り抜かれた空が紛い物に見えるほどで、
僕は何度も溜息を吐きながら、飽きずに夜空を眺めていた。

( ^ω^)「綺麗だお……本当に、綺麗だお」

独りで眺める空は、綺麗だった。
それは大小様々な宝石をちりばめられた、滑らかな黒いベルベットの生地に似ていた。

( ^ω^)「……なぜ」

何故。
その一語だけを口に出す。

何故、こうなってしまったのだろう。
僕は、どこで間違えてしまったのだろう。

答えは出ない。
きっと、決して出ることはない。

(  ω )「……ツン……」

腕時計を見る。

間もなく、短針が12時に掛かる頃だ。
普段のツンなら、そろそろ眠りに就く時間だった。

……そろそろだ。




45 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:20:48.26 ID:vPkwH7b90
( ^ω^)「……」

僕は考える。

ドクオ、クー、そして、ツン。僕が誘い、顔を合わせた三人。
彼等の内、誰かひとりでも、今夜、この時までに、改悛の情を見せたなら。
「済まない」と、一言でも僕に言ってくれたなら。

僕の心は、変わっただろうか?
彼等を責め、涙を流し、そして最後には許しただろうか?

( ^ω^)「……分からないお。
      もう、分からないお……」

――もしも、もう一度だけ、やり直せたなら。

その問いは、すでに無為だ。

時間は止まらない。戻ることもまた、ない。
毎日、夜が明けるように、時間は流れ続ける。

これは、ほんの些細な、その結末だ。

僕は待っている。
ソファに座って、身じろぎもせずに。
ただ、その時を、待ち続ける。




48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:26:36.58 ID:vPkwH7b90
――僕たち四人が、最初にここを訪れた日の夜。

   ξ゚听)ξ「ふうん……なかなかいい所じゃない。
         アンタ、よくこんな所知ってたわね。少しだけ見直したわ」

   もうすっかり慣れてしまった、刺々しいその口調。
   その瞳が言葉とは裏腹に、子供のように輝いているのを見て、僕はこっそり笑った。

   ξ゚听)ξ「ね、ほらっ。見て、ブーン。
         すごい星空……アタシ、こんなの見るの、初めて」

   寝室のベッドに二人で並んで腰掛けて、僕たちは星空を見た。
   あの星空は……今日と変わらず、美しかった。
   そして、月明かりに、星明かりに蒼く照らされた彼女の横顔は、星空よりもずっと美しかった。

   ( ^ω^)「……ツン。愛してるお」

   僕は、自然にそう口に出していた。
   彼女はぽかんとした顔で僕を見て、それから頬を赤らめ、微笑んだ。

   ξ*゚ー゚)ξ「……うん。アタシも……アタシも、愛してる。ブーン」

   僕たちは、見つめ合い、笑みを交わし、そしてお互いの肩に手を掛け、顔を寄せた――

浅い夢から醒めると、そこは現実だった。

できることなら、永遠に眠っていたかった。
けれど、それは、叶わぬ望みだ。僕には、これからやらなければいけないことがあるのだから。

全てを……僕が望む全てを、もう一度、自分の手に取り戻すために。




49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:28:28.60 ID:vPkwH7b90





                    *****










51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:34:31.39 ID:vPkwH7b90
薄暗い資料室の小さな机に、二人の刑事。
周囲に山と積まれたファイルを見回し、年配の刑事は息を吐く。
目の前のファイルを開き、ざっと目を通す。

(´・ω・`) 「ふむ。容疑者は……もう、この世の人じゃないんだね」

( ・∀・)「ええ。被害者Cの『殺害直後』、数メートル離れた崖上に移動し、『飛び降り』。
      頭を下にして落ち、突き出た岩に直撃……即死ですね」

(´・ω・`) 「そうか。だからこの資料室に、か。……そうか、成る程」

年配の刑事は独りごち、しきりに頷く。

( ・∀・)「そうですね。被害者全員の殺害が容疑者Aのものであると明確に立証され、
      その容疑者Aも直後に自殺していることから、犯人不在のまま解決……と」

年配の刑事は、大きく息を吐いた。くわえ煙草のまま、両手の平を擦り合わせる。

(´-ω-`) 「愛憎の果て……なんて、ドラマなんかじゃ良く言うけれど。
      彼らの心中は、きっと彼らにしか分からないんだろうね……」

瞑目し、押し黙る。

(´・ω・`) 「他人様の想いと、生と死の記録。それを棚卸しするなんて、因果な商売だね。
      まあ、良い。始めようか」

年配の刑事の言葉に、控えめに笑って頷き返し。
若手の刑事は、手にしたファイルを開いた。
その手元を、蛍光灯の白く、冴え冴えとした灯りだけが照らしていた。




53 名前:>>51訂正 被害者C → 被害者D:2009/08/22(土) 00:40:37.70 ID:vPkwH7b90
(´・ω・`) 「被害者D。宿泊施設の北側崖下で発見。
      容疑者Aに突き落とされ、14mの崖から『転落』。全身に強度の打撲」

若手の刑事も、彼に合わせて手元のファイルを繰る。
薄暗い資料室に紙の擦過音が響いた。

( ・∀・)「右腕と両脚、その他少なくとも六カ所に骨折。
      ですが……直接の死因は海水が肺に入った事による窒息死、ですね。
      『崖から海に転落』したときは、まだ息があったようです」

年配の刑事は、片眉を上げる。

(´・ω・`) 「へえ……苦しかったろうね。何とも、むごい話だ」

( ・∀・)「ええ。ですが、自業自得かも知れませんね。
      彼、いわゆる間男……既婚の被害者Bと不倫関係にあったそうです」

(´・ω・`) 「それは、また。
      では、自業自得……ということになるのかな?」

( ・∀・)「さて、どうでしょうね。
      正直、不倫のどこが楽しいのか、僕にはさっぱりですよ」

(´・ω・`) 「それはそうだろうね。
      未婚じゃ、不倫もできないだろう。ははっ」

( ・∀・)「……悪かったですね」

不貞腐れた表情で鼻を鳴らし、若手の刑事はファイルを捲る作業に没頭した。




55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:46:56.91 ID:vPkwH7b90
( ・∀・)「……次は、被害者C。宿泊施設の3階、『302号室』で死亡しているのを、
      翌朝清掃に来た従業員が発見、と」

傍らの紙束を捲り、写真を取り上げる。

(´・ω・`) 「これはまた、綺麗な女性だね。
      まだ若いようだし、生きていれば良いこともあったろうに」

( ・∀・)「ですね……ええと、死因は『胸部を刃物で刺された』事による失血死。刃物は、
      上手い具合に肋骨の隙間から肺を傷つけています。他に外傷は見当たりません」

年配の刑事は腕を組み、唸る。
椅子にもたれかかった拍子に、机の上の灰皿から吸い殻が零れた。

(´・ω・`) 「ふむ……ねえ、モララー君。
      この人は、殺されるような事をしたんだろうかね?」

若手の刑事は首を振る。

( ・∀・)「さあ、どうでしょう? ……ですが、どんな心境なんですかね。
      自分の彼氏が、共通の知り合いである大学時代の友人の妻と……っていうのは」

(´・ω・`) 「分からないな。でも……苦しんだろうね。辛かったに違いない」

( ・∀・)「しかし、それをしかるべき相手に告げることはしなかった。
      ……その結果が、これ、ですか」

二人は肩を揃え、溜息を吐く。
思い思いに身体をほぐし、机に向かい直した。




57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 00:54:46.44 ID:vPkwH7b90
( ・∀・)「被害者B……被害者C同様、自室で殺害される。
      宿泊施設の『303号室』で、事件の翌朝に発見」

立ち上がり、手にしたものとは別のファイルを拾い出して差し出す。
年配の刑事は、煙草を灰皿に置いてそれを受け取った。

(´・ω・`) 「ありがとう。ええと……頸部の圧迫による頸椎損傷。『絞殺』だね。
      ご丁寧に、あらかじめドアに細工をし、ロックがかからないようにしてあった。
      『寝静まる』のを待って堂々とドアから部屋に侵入、絞殺……という訳か」

( ・∀・)「ええ。完全に、計画的な犯行です。ご丁寧に、被害者C、Dの部屋も同じように
      細工されていました。計画的犯行、と言えますね。にも関わらず……」

軽く、息を吐く。

( ・∀・)「……相当、恨んでいたんでしょうね。失神した後も、相当の力で締め上げてます。
      窒息する前に、首をへし折られて即死。これじゃ『断末魔』の余裕もないですね」

(´・ω・`) 「怖いものだね。僕も、不倫には気を付けるかな。ははっ」

苦笑して、ファイルに目を落とす。

(´・ω・`) 「……そして、この部屋にあった刃物で……という訳かい」

( ・∀・)「そのようです。被害者Cの身体に残った『果物ナイフ』から、容疑者Aはもちろん、
      被害者Bの指紋も検出されました。指紋の向きと握った強さからして、
      容疑者Aが手にする前に、まっとうな用途で用いていたものと思われます」

年配の刑事は、大きく頷いた。




59 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 01:00:34.22 ID:vPkwH7b90
切れかかった蛍光灯が、緩やかに明滅する。
微かに埃の舞う地下の資料室で、年配の刑事は声を上げた。

(´・ω・`) 「……あれ? モララー君、これ……」

( ・∀・)「どうしました? ショボンさん」

(´・ω・`) 「ああ、いや。調書の文面がおかしくてね。ここの部分なんだけど……」

開いたファイルを若手の刑事に差し出し、指で示す。
若い刑事はそれを受け取り、前後のページを捲った。まじまじと見て、頷く。

( ・∀・)「ああ……これ、並び順がおかしいですね。
      ほら。日付順に並んでないといけないのに、『逆』になってますよ」

椅子から乗り出し、覗き込む年配の刑事。

(´・ω・`) 「あ……本当だね。『時間が後のものから順番に』綴じちゃってるのか。
      済まないね。ぱっと見、まともな事が書いてあるように見えたものだから」

( ・∀・)「ショボンさん、しっかりしてくださいよ。
      まさかもう老眼じゃないですよね?」

(´・ω・`) 「いやいや、申し訳ない。デスクワークは久しぶりでね……どれどれ」

年配の刑事は、苦笑する。
返された調書のファイルを受け取り、改めて開く。

( ・∀・)「では、始めましょうか。まず――」




61 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/22(土) 01:03:20.17 ID:vPkwH7b90





          ( ^ω^)プレイバック、ワンス・モア。 のようです









63 名前: ◆Pf9V.jDvxk :2009/08/22(土) 01:05:20.46 ID:vPkwH7b90
サマー三国志参加作品です
初日の投下で緊張するけど、がんばる

では、これから投下開始します





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